「参加」の概念を再考する。
休んじゃった。
まあ忙しかったからね。
でもね。まあもう一回やり始めるってことも素晴らしいことですね。
本題。
政治参加についてのお話です。
僕は政治教育とか、若者の政治意識とか、そういったものにも関心があるんですが、
よくその中で言われるのが「若者は政治に参加するべきだ」というものですが
その具体策として、
「投票に行くべき」
「デモなど、社会参加するべき」
ということが良くあげられるわけです。
でも、参加ってそれだけですかね。
たとえば、政治になんの関心も抱いていない人がいたとして、その人が無理やり投票に行かせられる。
たとえば、自分が支持していないデモに参加させられる。
これって参加って言えるのでしょうか。
僕は、現代においては自由な参加が求められているのではないかなと思います。
伝統的無関心と現代的無関心の話もありますが、
現代において、政治に無関心な人は、政治にたいして興味がないというよりも、政治にたいして批判的であるというばあいが多いです。
それならば選挙に行かないという意思表示もそれはそれでありではないでしょうか。
一時期、Twitterでそれに類する発言をした人をたたいているものがありましたが、それはどうなのと思います。
若者が投票に行かないと、老人は投票に行くから老人重視の政策になってしまう!だから若者は投票に行かないと!と発言している人もいますが、それはちょっと見るべきポイントが違うような気もします。
おそらくですが、若者が全員投票に行ったとして社会保障費が減額されて、その分振興費が増えるということもないでしょう。
なぜなら老人は投票に行くからです。
老人vs若者という図式で見ているからおかしくなるのでしょうか。
僕は政治学が好きというわけではなく、どちらかといえば政治哲学が好きなのでこういう考え方になってしまうかもしれないのですが、
それは多数決に民意を求める政治体制が悪いのであって、「だから投票に行こう!」という理論は整合性はないように思います。
僕は投票に行くことだけ、デモなどの社会活動に参加することだけが政治参加ではないと思います。
政治について考えるという行為そのものが、「政治参加」なんじゃないかと思います。
政治について勉強している人や、そのたぐいの本を読んでいる人、もっと言えば、政治とか興味ないといっている人も、実は政治参加をしているということです。
まとまりがなくなったので終わります。