一億総監視社会
3日目ですよ。
最高ですね。
さて本題。
「一億総監視社会」
どこかで聞いたことがあるフレーズ。
なんとなくの生きづらさって、ここからきていると思うのよね。
「一億総活躍社会」の裏の意味のような。
みんながみんな活躍しなきゃいけない世の中。
でも活躍って何だろう。
なにが重要視されるのだろうか。
聞こえはいいけど、中身がともなってないのよね。
今は結果しか求められない世の中なのよ。たぶん。
だって、みんなが納得するような活躍の指標って結果しかないんじゃないですか。
昔の指導要領にあった関心意欲態度。そんなの教師の主観ジャン。それとおんなじ。
結局は結果が一番わかりやすい。
でも、それって素晴らしい社会なの?
(一応断っておくけど、別にその世の中を批判して、文化人を気取りたいわけじゃない。
でも、やっぱり今の世の中はおかしいんじゃないかなと思う。)
もっといろんな「一億の社会」があっていいと思う。
ニートしてたっていいし、馬鹿なことして警察に逮捕されても、まあいい。
選挙だって行かなくてもいいし、勉強が嫌ならやめたっていい。
でも思考を停止していいってわけじゃない。
「考え続ける」ってことは必要。
いってみれば、思考していればあとはなにやってもいい社会。
そんな社会で、いいじゃない。
名づけるなら、「一億総許容社会」かな。
何かいてんだろ。
自分でもよくわからん。