いしきたかしのブログ

いしきたかしというものです。自分の思ったことを書きます。

一度は、「あいりん地区」を訪問してみたい。

大阪・西成「あいりん地区」という場所がある。

僕も名前は聞いたことがある程度の場所で、一度は訪問してみたいと思う場所である。

 

diamond.jp

 

この記事を読めばわかるように、代表的な「貧困」の地区であるからである。

 

僕はここにはいったことがないので、記事から類推するほかない。

どこかの長い休みのときにでも行ってみたいけど。

 

この「あいりん地区」の現状は近い将来の日本なのかもしれない。

 

非正規雇用、若者時代からの貧困など、いわゆる新自由主義(ここでは、小さな政府を目指す政策・主義をさすことにする)の弊害と呼ばれる結果なのではないか。

 

「あいりん地区」にはNPOは活動しているけれども、国の機関はほぼ活動していない。

記事では住民に、「警察に相談する発想がない」ということが言われていたがどちらかといえば警察などといった国家的組織、国家権力をまったく信用していないということもいえるのではないか。

 

難しい問題。

 

日本人の感性

最近いろいろと芸能界が騒がしいですね。

 

たとえば、幸福の科学に入信したあのお方。

 

いろいろ関係ない人がいろいろ言ってますよね。

 

幸福の科学はやめたほうがいい」とか。

「やるべき仕事はやってからやめろ」とか。

 

まあ僕の意見は、別にどんな宗教を信じたって、仕事を辞めたって、別にその人の勝手じゃないかなあ。

 

なんで「やるべき仕事はやってからやめろ」って論理が成り立つのかわからない。なんでかなあ。だって自分が就職したとして、その仕事が本当につらかったらやめるでしょ?

「自分が抜けたらそのあといろいろ迷惑かけるからやめないで頑張ろうかなあ」なんて考えないでしょ?

 

 

まあ、いろいろ言いたいことはあるけどさ

よくよく考えたら、こんなニュースって僕らに関係ないことじゃないか。

 

だったら首を突っ込むのやめよう。

 

芸能界のニュースに一喜一憂してたら、人生つまらないと思うんだよね。

 

 

 

 

 

日本人の特性って言っていいかわからないけど、自分は叩かれたくないくせに、誰かを叩く場面に遭遇したら一生懸命本当に叩くよね。

 

びっくりするよ。本当に。

 

しかもろくに調べないのにね。

 

こわいなあ。本当に。

 

 

 

政治は万能ではない

むしろ、政治は欠陥だらけだ。

 

よく民主主義は最高の政治のかたちだから続いていると言っている人を見るが、

それは間違いで、(もちろん意見の違いだから、本当に間違っているとは言えないが、少なくとも僕の見解の上では間違っている)

本当は民主主義なんて最悪の考え方であるけれども、それ以上の素晴らしい考え方がみつからないから、とりあえずのかたちで続いているっていうだけ。

 

政治については、ある程度の距離をとったほうがいいと思う。

 

でもね、だからと言って政治について思考することをやめてはいいってわけではない。

 

政治について、過度な期待をしてはいけないってだけ。

 

 

前の記事にも書いたけど、政治に参加することはいいことだ。

 

様々な参加方法があると思う。

 

でも、その中で、「政治はまったくもって完ぺきではない」

 

という考え方を忘れないで参加するべきだと思う。

 

それが本当のことだからね。

 

 

「参加」の概念を再考する。

休んじゃった。

まあ忙しかったからね。

 

でもね。まあもう一回やり始めるってことも素晴らしいことですね。

 

本題。

 

政治参加についてのお話です。

 

僕は政治教育とか、若者の政治意識とか、そういったものにも関心があるんですが、

よくその中で言われるのが「若者は政治に参加するべきだ」というものですが

その具体策として、

「投票に行くべき」

「デモなど、社会参加するべき」

ということが良くあげられるわけです。

 

でも、参加ってそれだけですかね。

 

たとえば、政治になんの関心も抱いていない人がいたとして、その人が無理やり投票に行かせられる。

たとえば、自分が支持していないデモに参加させられる。

 

これって参加って言えるのでしょうか。

 

僕は、現代においては自由な参加が求められているのではないかなと思います。

伝統的無関心と現代的無関心の話もありますが、

現代において、政治に無関心な人は、政治にたいして興味がないというよりも、政治にたいして批判的であるというばあいが多いです。

 

それならば選挙に行かないという意思表示もそれはそれでありではないでしょうか。

一時期、Twitterでそれに類する発言をした人をたたいているものがありましたが、それはどうなのと思います。

 

若者が投票に行かないと、老人は投票に行くから老人重視の政策になってしまう!だから若者は投票に行かないと!と発言している人もいますが、それはちょっと見るべきポイントが違うような気もします。

おそらくですが、若者が全員投票に行ったとして社会保障費が減額されて、その分振興費が増えるということもないでしょう。

なぜなら老人は投票に行くからです。

老人vs若者という図式で見ているからおかしくなるのでしょうか。

 

僕は政治学が好きというわけではなく、どちらかといえば政治哲学が好きなのでこういう考え方になってしまうかもしれないのですが、

それは多数決に民意を求める政治体制が悪いのであって、「だから投票に行こう!」という理論は整合性はないように思います。

 

 

僕は投票に行くことだけ、デモなどの社会活動に参加することだけが政治参加ではないと思います。

政治について考えるという行為そのものが、「政治参加」なんじゃないかと思います。

政治について勉強している人や、そのたぐいの本を読んでいる人、もっと言えば、政治とか興味ないといっている人も、実は政治参加をしているということです。

 

まとまりがなくなったので終わります。

 

一億総監視社会

3日目ですよ。

最高ですね。

 

さて本題。

一億総監視社会」

どこかで聞いたことがあるフレーズ。

なんとなくの生きづらさって、ここからきていると思うのよね。

 

一億総活躍社会」の裏の意味のような。

みんながみんな活躍しなきゃいけない世の中。

 

でも活躍って何だろう。

なにが重要視されるのだろうか。

聞こえはいいけど、中身がともなってないのよね。

 

今は結果しか求められない世の中なのよ。たぶん。

だって、みんなが納得するような活躍の指標って結果しかないんじゃないですか。

昔の指導要領にあった関心意欲態度。そんなの教師の主観ジャン。それとおんなじ。

結局は結果が一番わかりやすい。

 

でも、それって素晴らしい社会なの?

 

(一応断っておくけど、別にその世の中を批判して、文化人を気取りたいわけじゃない。

でも、やっぱり今の世の中はおかしいんじゃないかなと思う。)

 

もっといろんな「一億の社会」があっていいと思う。

ニートしてたっていいし、馬鹿なことして警察に逮捕されても、まあいい。

選挙だって行かなくてもいいし、勉強が嫌ならやめたっていい。

 

でも思考を停止していいってわけじゃない。

「考え続ける」ってことは必要。

いってみれば、思考していればあとはなにやってもいい社会。

 

そんな社会で、いいじゃない。

名づけるなら、「一億総許容社会」かな。

 

何かいてんだろ。

自分でもよくわからん。

 

小中学生が勉強を好きになるには

2日目が更新できそうです。

とりあえず3日坊主になるために、3日は更新しないといけないのは厳しいですね。

 

今回は、「勉強が好きになるには」ということで書いていきたいと思います。

 

僕は地方国立大生です。塾講師を1年、家庭教師を1年半くらいやっています。塾講師はもうやめてしまいましたが。

家庭教師は、地方国立大なので、正直、(相対的に)出来の悪い子どもを教えています。東大生とかだったら違うんでしょうが、とにかくまあぼくはそういう子どもを教えています。

 

 

僕の教え子は、大体勉強が嫌いです。机に向かうことも嫌だって子が多いです。

でね、ぼくはただの家庭教師であったり、塾講師であるわけですから、強制的に勉強しろとはいえないわけです。

勉強が嫌い→勉強をしない→成績が下がる→勉強が嫌いになる

の無限ループがはじまるわけです。

 

だったら、お前が教えている時間で何とかしろよという人もいるかもしれませんが、それは難しいです。なぜなら、家庭教師なら1週間に90分、塾講師でも1週間に60分2コマしかないからです。

こんな短い時間で何ができますか?おまけに生徒は復習をしないし、1週間前のことなんて忘れてるわけです。

復習に、時間の半分以上を割き、やっと調子が出てきたと思ったら時間切れということが多い。

こんな感じでお金をもらうのが申し訳ないくらいな感じです。

 

結局何を直さなきゃいけないかって、勉強が嫌いってところを直さないといけないわけです。

 

やっと本題。

 

最近思うんですが。

勉強が好きなひとって、もとから勉強が好きだったわけじゃないんですよね。僕もそうでした。

僕の話ばかりになって申し訳ないんですが、僕は小学校受験をし、中学受験をし、高校受験をし、大学受験をしました。すべて純粋な受験でした。でも、勉強が楽しかったと思えたのは、大学受験の時だけでした。

なんというか、大学受験が一番勉強したんですよね。それで、いろいろな問題を解くことができるようになっていって、勉強が好きになっていきました。

なぜ大学受験が一番勉強したか。それはやっぱり「大学にいきたい」という気持ちが明確にあったからじゃないかなと思うわけです。

そう考えたら、小学生中学生の段階で勉強しろなんて言うほうが無理があります。

だって勉強していいことがあるなんてわからないんですから。

人生の選択肢が増えるから勉強するなんていってる人がいますが、小中学生に将来のことなんて考えさせるの無理でしょ。

 

でも僕は、だからキャリア教育が大事なんだ!なんていうつもりはないし、ほかの方法で将来を考えさせるなんてことも提案しない。

 

じゃあどうするか。

僕は何もしなくていいと思う。

 

だって将来のことなんて、そんなに焦って決めることじゃないじゃないですか。

 

それよりも「できた」というときの気持ちを何回も味わわせることで、勉強の苦手感をうすれさせてやる。別に、好きにならなくてもいい。ただ苦手という感触を薄れさせることができればいいんじゃないかなと思う。

 

それが学校や、塾業界、家庭教師業界に求められていることなんじゃないかな、と思います。

 

はじめました!

何度目のブログ開設になるのでしょうか。

ひょっとするとまたこれ以降更新しなくなるかもしれません。

ただまあ、それはそれでいいことなのかもしれないです。

ネット社会なんて、やりたいときにふっと始められて、すぐ辞められるのが利点みたいなもんですから。

 

さて、このブログでは、アウトプットの練習として、自分がおもに政治とか、社会問題とか、いろいろ思ったことを書いていこうかなと思います。

 

よろしくお願いいたします。